地域猫の国の、地域猫対策コミュニティに「現場」と呼ばれる大切な2種類のポイントがはっきりしているとき、上手にすすみやすいのですが、そのバランスがくずれると、対策そのものも根付きにくくなります。
地域猫対策を「街が飼い主の猫」や、「管理統制のはかられている野良猫」などと定義付けることがあります。『地域猫、100箇所あれば100通り。』ですから、もちろんどの仕組みも否定はできません。その他に「街が飼い主」でも「適切な保護管理」にも当てはまらない地域猫対策の定義があります。
地域猫の国の生物大臣は「生態循環は自然のありのままの姿であるから、尊ばれなければならない。」といいつつも、ありのままの生態の繰り返しを放置するとき、増え過ぎても居なくなりすぎても大きな問題が起こる危険を訴えます。
地域猫の国で囁かれているその他の定義は、「生態の繰り返しを、猫の身分を超えて支配・統治する」というものです。この定義が「2種類の現場」に強く関わります。
一つめの現場は、どなたでも目に浮かぶ通院・譲り渡し・譲り受け・保護養育介護など日常の現場で、大小の違いは有っても多くが手を述べています。ここに落とし穴が見つかりました。
国の養育福祉大臣が、このような日常の現場活動のすべてを国民の地域力で行わせようとします。もちろん反論は出ますが、役所は時により威圧的ですから、誰かが奉仕で行なわざるを得ません。無償奉仕活動を率先しないと、役人に「現場をやらない。」と判断されます。
もう一つの大切なポイントの現場は、養育福祉大臣の威圧的な要求に対して、地域力協働大臣のすすめる「100箇所あれば100通りをプログラムし実行する現場」です。
例えばスポーツ選手で監督も兼ねるプレーイングマネージャーに似ています。役人には務められない現場の役割ですから、市民のどなたかが担うことになります。この役割を分担する市民の立ち位置を、役人がどれほど上手に見極められるかどうか?二つめの現場の大切なポイントです。
「養育福祉大臣に対しては、いいたいことが沢山あっても上手く伝えられずに、しぶしぶいいなりになってしまう。」このような現場と、地域力協働大臣のすすめる「プログラムし実行する現場」と、二つの現場の絶妙の折り合いの重要さに気付いている役人の下では地域猫対策がすすみやすく、通院・譲り渡し・保護介護など日常の現場にこだわり、自ずと戸惑いの多くなる場合は、本来の地域猫対策とまた違う仕組みが役所の施策に必要になります。(初稿・'13.3/改訂'13.5)
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