平成16年3月吉日

AWN連絡会会員の皆さま
どーぶつネットメンバーさま
動物愛護グループ主宰者各位さま

 いつも動物たちへのやさしいご活躍をありがとうございます。

 さて、動物愛護管理法の見直しにあたり、その見直し作業に係わる有識者、あるいは議員などの方々より、「何が望まれているの?」などの、素朴な疑問を投げかけられる機会も出てきました。

 「動物が命ある」とする、積極的な立場からの、サイン欄入りサンプルレターを作成しましたのでお届けさせていただきました。

 用紙は、ホームページからのダウンロードもできますのでご案内いただけると幸いです。
法の見直しについての「ご提案」サインオンサンプルレターpdf版は
 http://awn.sub.jp/pdf/ho_naosi.pdf
 http://www.asahi-net.or.jp/~jz6m-dmn/nekodasuke/pf/ho_naosi.pdf
 
※どちらもアクロバットリーダー.pdf形式/39kです。

 

人と動物との適切な関係を目指して、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

                           平成16年  月  日

 __________  殿

                 氏名

                 住所

 いつも動物たちや環境にやさしいご活躍をありがとうございます。

 さて、今般動物愛護管理法の見直しに際しまして、国による有識者等の検討会のほか、市民活動においても、各種署名禄ほかの集約なども行われ、国民の注目が集まっています。

 同法の実行については、国民のさまざまな立場や分野の違いから、法により著しく保護される国民と、法の不作為や法を超え、あるいは法に触れる措置とも判断される実行方法で、保護されず不利益を思わざるを得ない国民のいることも周知の事実です。

 また、我が国に生息するすべての動物と人との関係を、法により適切に保全する行為の困難なことも、生物多様性の課題などとしてよく知られています。

 一方、動物に係わる経済社会や、メディアなどの作用も加わり、「人と動物との共生」などと位置付けられる、ペット動物・愛がん動物に係わる文化土壌の適切な育成も、大きな課題として見直され始めています。

 生物多様性と人との関係や、身近なペット動物との適切な関係を思い図る際に、将来的にも間違いのない方向付けが、国家的な事業として求められています。

 その方向付けに基づく各自治体などの実行措置により、人と身近な動物との関係を適切に導くことが望まれています。

 法による実行が困難なことによって、一部の立場には有利であり、また一方には不作為による不利益が生じ、公益性に基づいた国民の保護がおろそかになることを避ける目的から、法見直しに際して、課題と思われる具体的な項目をあげて考えました。

 人と動物との適切な関係を目指して、「動物が命ある」とする国民の公益性が、将来に渡り保護される法の執行を求め、何ぶんのご配慮をお願いいたします。

動物愛護管理法の見直しについて(平成16年3月吉日)

 動物愛護管理法と法公布時の議会付帯決議や、関係する法令などの詳しい内容の情報を省きましたが、必要な事項を引用しました。

 また、動物の愛護及び管理に関する法律を「動物愛護管理法」や「法」と省略しました。「法の精神」リーガルマインドということばを使います。世間に善人しかいなかったら、法律などいらないといわれますし、法律が作られることにより、その抜け道を見つけ出し、法の精神とは異なった方法に使われてしまう恐れもあることからです。

 国民が法律を必要とするには理由があるからとされます。その理由を法の「目的」や「基本原則」などに「法の精神」として定め、法の精神に従った実行や執行がされるものと考えられます。

 法の改正前からあった昭和48年施行の動管法の「目的」には、「生命尊重」ということばが使われました。法改正後の「基本原則」には、「動物が命あるものであることにかんがみ‥‥」などと改定されました。
 法律を国民が必要とした理由を「法の精神」で現すならば、「動物には人の命とは異なるものの、やはり命があることに照らし合わせて、人との適切な関係づくりに、人が心配りする。」と言い換えられます。法の精神に基づき、法の見直しについて考えます。

 命ある動物に関係する法律は、動物愛護管理法だけではなく、主務所管もそれぞれに異なるものもあり、狂犬病予防法のほか、鳥獣保護狩猟適正化法や、自然環境保全法などやその他の多くの法令の含まれることも周知の通りです。感染症などの関連法や、種の保存法、ワシントン条約なども知られています。
 動物に関係する法律は、主に動物を人以外の形ある「有体物」などと位置付けし、有体物に関係する、人や人の権利や財産、人の環境などを保護する目的で作られることを、公益性に基づく根拠にしています。


 平成12年に改正された動物愛護管理法で、「動物が命あるものであることにかんがみ‥」などとして、動物を単なる「有体物」だけとする位置付けの考え方を変えたことが特徴とされています。
 しかし、動物に係わるの多くの法令などにより、動物を扱う人の立場によって、同じ1頭の動物が「有体物」と「命あるもの」と2つの立場で、動物を扱うそれぞれの人によって位置付けされて、それぞれに扱われてしまうという混乱を防ぐこともできていません。

 主に人に帰属する所有権などの判断基準を定めた遺失物法を、徘徊する動物に適用することなども顕著な事例です。人の権利などへの帰属の確認に要する判断基準とされる長期間に渡り、動物を保管する機能が伴っていないことに起因する国民の混乱です。

 法見直しの大きな課題は、「命あるもの」と、単なる「有体物」との関係にあることも広く知られており、有識者の間では、法の段階的改定論も研究されています。
 この関係を技術的にはっきりさせる方法も知られています。すべての命ある動物に関係する「動物基本法」という考え方を、法律で制度化することが方法とされています。

 我が国には、動物基本法がないため、命ある動物と人の適切な関係を目指して、動物との関係の実行を試みる多くの国民の保護がされにくい法律制度になっています。
 一方、動物関連産業や動物関連経済社会のほか、自然環境保全などの実情を勘案する立場から、法の段階的改定の方法には、動物を有体物とみなす意見にも気配りされているようです。

 本質的な意味合いから、人と動物との適切な関係を、将来に渡り思い図るとき、法改正時の「衆議院通過付帯決議」なども参考になります。「政府は、本法の施行に当たっては、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。」として、複数の項目を国会で決議しました。

 また、環境省に所管が移る以前から、「所有者又は拾得者から引取りを求められたとき、若しくは施設に引取り又は収容した犬又はねこについては、飼養の継続、飼養希望者又は所有者の発見に努める等できるだけ生存の機会を与えるようにすること。」などが、各都道府県知事や各政令市長に「通知」されたのは昭和50年でした。

 主に、有体物の動物から人への侵害を防ぐ目的で、動物を扱う人への厳しい措置を定めた狂犬病予防法により、昭和25年以後に、動物致死処分施設が各自治体などに作られました。
 現在に至っても、抑留した余剰動物を致死処分する仕組みが継続しているため、生存の機会を与えるための措置に、この抑留施設の積極的な改廃などを行い、再利用する仕組みの可能なことなども、国民に伝わりにくいのが現状です。

 付帯決議では、「犬及びねこの引取りについては、飼い主の終生飼養の責務に反し、やむを得ない事態としての所有権の放棄に伴う緊急避難措置として位置付けられるものであり、今後の飼い主責任の徹底につれて減少していくべきものであるとの観点に立って、引取りのあり方等につき、更なる検討を行うこと。」としています。

 例えば、狂犬病予防法による抑留動物を致死処分する施設が、動物に生存の機会を与える仕組みに変えられるとき、引取りのあり方等の方法を、自然に変えることができます。

 同じように付帯決議には「(割愛)『動物愛護推進員』の活動として新たな飼い主や引取り先の斡旋が行われることが想定されるところである。(割愛)」などの項目もあります。
 法の精神に基づき、人と命ある動物との適切な関係を目指し、国民より選ばれる動物愛護推進員の活動を有効に進めるために、各自治体の「抑留・致死処分」の施設を「生存の機会を与える仕組みを備えた施設」に改廃される際に、法に基づく実行も推進できます。

 現実社会での「動物に生存の機会を与える仕組み」や「引取られる動物をなくす活動」の多くは、国民有志の自助努力によって行われています。中にはその活動が極限状態に落ち入っていることを訴える者もいます。

 法により定められているにも係わらず、地域性の相違の理由や、自治体の裁量権に係わるなどとして、実行や執行のされにくい事項も生じています。このため、本法によるさらに強い規制が求められています。


 本法に「動物販売業者の責務」という項目があります。「動物取扱業の規則」も定められ、その取扱業の取扱う動物から、次のかっこ内の動物が除かれています。(哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するものに限り、畜産農業に係るもの及び試験研究用又は生物学的製剤の製造の用その他政令で定める用途に供するために飼養し、又は保管しているものを除く。)
 以上のかっこ内は、動物を有体物と位置付ける考え方のため、命あるものであるとする法の精神を実行する際に、大きな混乱を生じます。

 命ある愛護動物と、有体物とされる動物取扱業の動物や畜産農業、実験動物などの間で、1頭の同じ動物が行き交わなくする、法律上の規制がありません。

 動物取扱業の動物や畜産・実験などにも動物を定義しなくてはならないなどの、公益性という事態に配慮せざるを得ない意見には、有識者等による法の段階的改定論も注目されています。
 命ある動物と、有体物としての動物の両方を1つの法律で、段階をたどりながら消極的に規制し、社会の風潮に照らし合わせて、時期をみながら、やがて命ある動物を一義的に規則する方向に進むという段階的改定の考えです。

 ここでは動物が命あるとする法の上の合理的な整合性を保つために、段階を省いて、積極的で具体的な見直し事案を考えます。(※以下の●印の各項目が見直し事案です。)

●愛護動物は、適正に終生飼養され、適切に保護及び管理される。

 本法により、すべての愛護動物に終生飼養の機会を与え、法の精神を保ちます。現行法では、すべての動物に対する、終生飼養についての強制力を持ちません。

●やむを得ない緊急避難的な事態において、動物の所有権を放棄する者は、動物取扱業、畜産農業、試験研究用又は生物学的製剤の製造などや、動物をその他の用に供する者と同じ者であってはならない。

 動物を扱う者によって動物に命あるとされる場合と、有体物としての動物取扱者を区別することにより、段階的な改定案に近くなります。
 双方の公益性を維持し、法の整合性も保てますが、「動物が命ある」と一義的に定める際には、やはり矛盾も生じてしまいます。この方法を一部の海外法で取り入れています。

●都道府県等に、緊急避難的な事態における所有権の放棄に伴い、引き取られ抑留された動物に生存の機会を与える者は、前項の動物取扱業などやその他の用に供する者と同じ者であってはならない。

 この事案は、抑留致死処分の仕組みが、生存の機会を与える機能に改廃された事態を前提とするとき、より有効と思われます。命ある動物と、有体物とに位置付けられる動物が同じことからくる混乱を避けて、国民の行為を保護します。また、付帯決議の項目にある、「致死処分に付される動物を、伝統芸能文化の保護と連携する事業に供する措置」などの、「動物が命ある」とする国民の公益性に疑義を生む事態を防ぎます。
 自治体等の引取りにあたっての「緊急避難的な所有権の放棄」という定義には、前もって譲渡を目的にし、終生飼養を目指さない場合の、みだりな繁殖等の抑止という意味も含まれます。
 この事案でも「動物が命ある」と一義的に定める際の矛盾が生じます。海外法では、1頭の母犬に年間2回以上の出産をさせた者を、取扱業に規則するなどの折衷案もあります。

 法の精神により、命ある動物を主体にみたてた基本的な考えに法が作り直されるとき、産業・経済・文化の他、動物取扱業の動物や畜産・実験などにも動物を位置付けなくてはならないのでしたら、段階的な改定論のように、そうしなければならない「人」の行為の規則を、人を主体として厳格に作る方法も考えられます。
 その場合の法律は、「動物が命ある」などとする基本的な法律と異なる位置付けのものと考えられますから、現在の我が国の動物文化土壌において、国民総意の集約も困難を極めるものと思われます。
 海外の事例でも、我が国と事態に大差はなさそうですが、直接的なテーマとして積極的に取り組まれているようです。
 積極的に取り組まれていないまでも、我が国の現行法の、本法による「よるべき基準」は、人の行為が主体となっています。
 このため、「命ある動物」と人の関係についての整合性が図りにくくなります。国民に対して、法令などによって示されている、分かりにくい隠された矛盾に起因して、国民が混乱するため、人と動物との適切な関係を求める国民の保護もできません。

 法の精神により、一義的に命あるとされるべき愛護動物を、法のよるべき基準などによって、展示動物や産業動物、畜産・実験動物はいうに及ばず、家庭動物、愛がん動物、伴侶動物、動物園動物、販売動物、ふれあい動物などやそのほか、人の用に供される種別への分類作業を、国により進められていることにも起因しています。
 その結果、人が動物をなんらかの用に供する際に、動物の定義の範囲が拡散し、その動物を扱う人の行為を一義的に定める法の制度化がされにくくなるほか、終生飼養や繁殖制限などの法の精神の実行を、法自らが回避する事態に落ち入っています。

 命ある動物に係わる法の精神が、国民に分かりやすい実行項目として決められていません。「人が人の持つ財産権利などを侵害しない」という考えを、「動物から人への侵害を防ぐ」ということに重ね合わせた考え方が、人になんらかの価値を与えられた「有体物の動物」に関係する法律を作るときの、合理的な根拠にされているためと考えられます。

 このような混乱は付帯決議からもうかがい知ることができます。
 「ペットの放置・遺棄による在来種への圧迫をはじめとした外来種・移入種による地域の生態系への影響の防止の観点から、動物の飼養及び保管のあり方など外来種・移入種に関する対策を検討し適切に措置すること。(割愛)」と決議されました。

 国は、移入・外来種対策新法などを計画しています。愛護動物と、移入・外来種動物は、付帯決議にも示される通り、緊密に関係します。
 移入種対策新法を、国民の保護を目的に計画するのでしたら、その前に、命ある動物と人の適切な関係についての考え方を、分かりやすく定めなければ、さらに混乱が生じます。

 動物が命あるものであるとする法の精神に基づき、動物も主体にみなされる際に、外来種や移入種動物から、人への侵害を前もって防ぎ除くこともできます。
 命ある動物を、人の作用により、自然界などから人の社会に持ち込むほか、人による繁殖行為などで、動物本来の生態系を変えるなどの結果、それらの動物も「愛護動物」と位置付けてしまう、「人の行為の抑止」が制度化できます。

 現行法上では、人に飼育される動物の中で、畜産や実験に供される以外のほとんどの動物を「愛護動物」とみなします。
 また、愛護動物とみなされた動物が、人に与えられたなんらかの価値を持たされ、その用に供される場合にも、それらの人の行為を著しく強く規制する法律もありません。動物愛護管理法に、用語で定義されているに過ぎません。加えて、法のよるべき基準により、人の用に供された動物が、さらに用語で細分化されていきます。

 付帯決議に「飼い主責任の意識の高まりを踏まえつつ、公園等公共施設の利用のあり方についても検討を行うこと。」とする項目があります。「動物が命ある」とする考えを法に取り入れたときに、法の精神に基づく「よるべき基準」などで、人と動物との共生を図るための、すべての人の行いに関する、共通の道しるべを示すこともできます。
 現行法では、「人の用に供された特定の動物」に係わり、その動物を扱う人に限る行動指針とする位置付けのため、国民の間に混乱を生じています。

 我が国は地震のほか、自然災害対策の欠かせない環境にあります。平均的な人の居住環境も動物本来の生態の維持に配慮されているとも限りませんし、限られた国土に住居が連なっています。
 緊急に対策の必要な災害時に、避難所などに想定される公園等公共施設と愛護動物との関係は、本法により「平常時より、愛護動物を公園等公共施設も受け入れるもの」とした場合に、次の見直し事案が考えられます。

●災害基本法により、緊急災害時等における動物の保護及び管理措置に配慮をする。

 現行法上で、緊急災害時動物対策措置は制度化されていません。限られた一部の地方自治体の要綱などに、それぞれの方法で部分的に組み込まれているケースが見られるに過ぎません。平常時より、命ある動物と人との同居や共生が制限されているため、人と動物の適切な関係を考える機会も失われます。

 動物が命あるとする考えに基づいている国民が、「人の用に供される動物」に接するときの混乱と法制度化における矛盾が、付帯決議と本法を並べてみることからも推しはかることができます。
 「(割愛)学校や福祉施設などにおける動物の適正な飼養については、その近時における重要性の高まりを踏まえ、獣医師等による指導の実施などそのあり方について検討を行い、関係行政機関が適切に連携しつつ、(割愛)基準の中に盛り込むなどの措置を行うこと。」と付帯決議されました。
 本法では、「(普及啓発・第一章第三条)国及び地方公共団体は、動物の愛護と適正な飼養に関し、前条(※注・法の目的、基本原則)の趣旨にのっとり、相互に連携を図りつつ、教育活動、広報活動等を通じて普及啓発を図るように努めなければならない。」ことを定めています。

 重大犯罪のきざしが、小動物への殺傷犯罪に見られるなどの研究もされています。人の役に立ち、人のために働いた動物が、やがて余剰動物として扱われる事態もあります。鳥由来ウィルスが危ぐされた折に、学校飼育動物の処分まで検討されました。

 学校や福祉施設などにおける動物の適正な飼養などについての普及啓発は、単に教育や福祉の機関にとどまりません。警察、消防のほか、国の国土、厚生、文部科学等々の主務所管相互に連携し、地方公共団体の実行を進め、国民保護のなされることは本法の通りです。

 動物の置かれた事態により、人を主体として、人の行う飼養や保管の方法が異なることにより、国民の間に混乱を生じます。人の都合で動物の置かれる事態を、法によって敢えて定めることが、動物を命あるとする法の精神と馴染まないことによるものと考えられます。
 動物愛護のための教育機関等による普及啓発については、次の事項が法の見直し事案です。

●学校や福祉施設などにおける動物の適正な飼養の普及や啓発については、「動物が命あることにかんがみた」適切な「知識修得教育」を、各所管相互間の緊密な情報交換の下で行う。

 学校などでの動物の保管の有無に係わらず、動物愛護を知識修得教育に取り入れる考えです。校舎などが動物の適正な終生飼養を継続するに際して、適切な保護管理の施設であるのか否かの判断を、専門的な知識や技術を有する人々に委ねることも可能と思われますが、学校教育を定めた法律等との、合理的な整合性や公益性についても検討されなければならないものと思われます。「愛護動物を飼養する者は、教育の用に供される動物取扱者等を兼ねない。」など、動物を単なる有体物としてではなく、法の精神の実行を目的とする教育が考えられます。

 付帯決議には、本法の実行に係わる一義的な整合性に対して、議会自ら疑義を提示したと思わせる項目もあります。

 「国、地方公共団体を通じて本法の適切な施行・運用のための体制の整備・充実を図ること。」とあります。さらに「(割愛)動物取扱業者の届出制については、その実施状況を調査し、問題の発生の有無等によりその有効性を評価するとともに、東京都の登録制の条例制定など先進的な取組を踏まえ、(割愛)」のほか、「罰則の対象となる虐待の定義等については、本法に基づく摘発や立件等の状況を踏まえ、見直しの必要性も含め検討を行うこと。」「愛護動物の範囲については、本法で爬虫類を追加したところであるが、熱帯魚などが観賞用として増加していることなども踏まえ、今後の問題の発生状況等必要に応じてその見直し等につき検討を行うこと。」や、「今回の改正案に盛り込まれていない事項(動物の取扱や情報公開等)についても、地方公共団体等における各種の取組等を踏まえ、動物の適正な飼養の推進の視点から検討を行うこと。」などがあげられています。

 人と動物との適切な関係を目指し、その実行を試みる国民の保護が、動物愛護管理法に準拠した場合に、極めてなされにくい事態を、議会でも以上の様な項目に取り上げ、法の下での合理的な整合性を図らなければならないこととしたもの、と推測されます。

 人と動物との適切な関係を目指す国民が保護されにくく、公益性が保たれない具体的な例として、とりわけ顕著な事態を次に列記しました。

 ●動物遺棄犯罪や殺傷犯罪、および衰弱虐待犯罪やそのほかの罰則に該当する動物を、事件が解決するまでや、解決のために抑留し、生存の機会を与える目的の施設の設定が決められていないため、それらの動物に生存の機会を与えようと努める国民の保護ができません。

 ●現状では、法や条例による罰則の執行を、地域の所管が行いにくくなっています。法施行以前の古くからの通念上の、それぞれの管轄官の判断に対応が委ねられるため、国内各地の対処も千差万別となってしまい、国民の間に不公平な事態が続いています。

 上記の2項目について、主に自治体の愛護動物所管と警察に係わりますが、可罰的違法行為への対処方法の周知がされていないことと、事件等該当動物の保護や管理設備のないことも原因と思われます。罰則用語の定義の見直しや、罰則の強化と併行して、その前段に位置付けられる「罰則を執行する仕組み」が適切に機能していません。

 ●店頭に展示陳列される、あるいは景品等に付される、又はみだりに譲渡されるなどの、動物に対する行為の抑止や規制措置を、動物を命あるもと位置付ける地方自治体などの条例等で定めるときの、指導的な措置を超えられる適切な根拠が本法に求められます。

 上記それぞれの行為を、好ましくない社会問題としてとらえる程、我が国の動物愛護の文化土壌の成熟が進んでいます。極めて限られた一部の事業主等には、社会的な問題あるいは風潮などとして好ましくない旨も真摯に伝わりますが、そのほかの多くには事業の権益を主張されます。現行法には、法の施行以前からの慣例等により継続している事業等に対して、事態に係わる自治体等により、積極的な抑止措置等のできる強制力もありません。

 ●生物多様性に係わる、外来種動物の移入抑止や、生態系の保全を目的に生殖を抑えるなどの行為を、人と動物との適切な関係を目指す国民が行う時に、その国民の行為を保護する根拠もおろそかです。

 よるべき基準などで、動物の置かれる立場により、動物の細分化が進むこともあり、一義的に動物を命あると考える国民の公益性を図れません。なんらかの人の用に供される目的で、動物の発生が循環するため、前もっての防除が困難に落ち入っています。

 ●命ある動物は、生殖機能を持ちます。生まれながらの、本能生理習性などにより、生態を保とうとします。人の行為をもって、それらの動物本来の生態から、人への侵害を抑止することを法律の目的とするのでしたら、人の行為の厳格な規制が必要です。動物の駆除や排除に変えて、前もって抑止を試みる国民の行いを保護する根拠もありません。

 段階的な法の改定論でも飼い主責務を強調しています。強い規制が、国民の平均的な飼い主に対するものに限られないことも周知のことがらで、種々の事業者も含まれます。加えて、国家的な環境保全事業などとの大きなテーマにも係わります。一方では、地域住環境の保全を図るため、徘徊する動物の、今以上のみだりな出産を抑える住民協働作業も試みられていますが、試みる住民を法により積極的に保護する仕組みもありません。

 ●現行法では、動物に関係する人それぞれの立場により、それぞれの人の行為に制約が定められることから、動物に係わるすべての人の行いについて、統一性のある規制も求められます。動物が命あるとする際に、動物を主体とみたてて、人の行為を一義的に規制する法律がありません。

 動物の生理、習性、本能などを勘案し、動物本来の生態を明確にし、法に定義されるすべての動物に係わる「一義的な人の行為」の基本的な規制が定められていません。
 動物は命あるものですが、人の生命と異なることはいうまでもありません。しかし、動物が命あるとする法の精神を尊ぶ際に、動物を人のために働かせ、人の役に立たせるなどの位置付けよりも、動物の命の本質を考え、動物の命を思う国民を保護できる根拠もありません。
 動物基本法の必要性を考えるとき、その一義的な基本法の下で、さらに動物をなんらかの用に供する行為の規制も、立法上の技術として考えられます。

 ●動物由来感染症などが、人を侵すなどという事態の抑止対策も話題になります。感染症からの防除に限らず、多くの自治体等の措置は、もっぱら動物から人への侵害を防ぐ「駆除」或いは「排除」を、「防除」ということばに置き換えた「致死処分」にかたよります。

 条例などにより、命ある動物と人の適切な関係を実行する人の行為を保護し、人を侵害する恐れの有るとされる動物の発生を前もって防ぐ措置を、自治体等が速やかに行える直接的な根拠も手薄です。国が計画する移入種等対策新法には、自治体等の速やかな防除措置等を定めるものとも伝えられています。排除する手段をとらずに、前もって、命ある動物から人への侵害の発生を抑止することは、それぞれの法による一義的な目的と考えられます。それぞれの法に一義的に「動物が命ある」とする「法の精神」を取り入れ、実行するための定めがありません。また、動物を主体にみたてた際の、近交劣化あるいは退化現象などによる、動物間疾病障害などの発生を抑止する、積極的な措置を実行する根拠もありません。

 ●本法により、人と動物との適切な関係についての実行や執行の行なわれにくい事態については、条例などで容易に定められる根拠も必要です。例えば、「人と動物との適切な関係を目指し行う人」の行為を侵す恐れのある他者による「不適切な飼育」を禁止するなどです。

 ●地方自治体の実行措置に係わる事態について、例えば「生存の継続に努めるシステムの構築」や、「引取られる動物をなくす活動」また、「緊急災害時対策」などの自治体の措置を「義務」にできる根拠もありません。

 上記2つの事案について、多くの場合、人と動物と関係する環境は限られます。地方自治体によって、適切な措置を速やかに実行できる直接的な根拠がおろそかです。
 このため、地域行政の不作為により、動物に係わる住民の不利益の発生や、地域行政の法を超え、あるいは法に触れるものと判断され得る措置実行の事例も多くあります。

 ●国などによる立法化計画の諮問機関など、例えば「審議会」「検討会」、または「協議会」「連絡会」などの構成員を、「動物が命ある」と考える者に託す裏付けもありません。
 従来の立法化計画で、「致死処分措置に異論を有する者の意見を妨げないが、構成員としては困難」などとした委員会報告からも、「有体物の動物が人のために働き、人の役に立つ」とする考え方にかたよることが判断されます。

 動物が命あるなどとする法の精神が、極めて忠実に制度化される際に、不利益を訴える者を国民の公益性の基準にするのか、あるいは我が国の適切な動物愛護文化土壌の、将来的な成熟を願う者を公益性の判断基準にするのか。
 国民が動物愛護管理法を必要とするときのリーガルマインドを、後者と考えます。 以上